◎5月31日から6月6日は禁煙週間です！
ID：1016881
[お問い合わせ]健康課（電話番号042・581・4111）
禁煙しても、すぐタバコを吸いたくなってしまう。
何度も禁煙に失敗していて、意志が弱いのでは…。そんなことを思っている方はいませんか？
禁煙できないのは、決してあなたの意志が弱いからではありません！
喫煙を続けていると「ニコチン依存症」という状態になります。
禁煙を開始して2～3日をピークにイライラや落ち着かないなどのニコチン切れ症状（離脱症状・禁断症状）が現れます。
仕事や家庭のストレスが原因と思っているイライラの正体は、
タバコを吸っているが故に生じているニコチン切れ症状である可能性が高いのです。
中でも「タバコを吸いたい気持ち」や「気分の落ち込み」は、再びタバコを吸うきっかけになりやすいのです。

◆タバコを吸いたい時の対応ポイントは、行動を切り替えること！
・朝、起きて吸いたくなったらコップ1杯の水を飲む
・食後すぐ歯磨きをする
・喫煙したくなる場を避ける
・禁煙仲間を作る

◆気分の落ち込みへの対応休息や気分転換をはかる！
・散歩や軽い運動をする
・熱めのシャワーを浴びる
・睡眠（仮眠）をとる

★タバコをやめたい方へ
禁煙は自分一人ではなかなか達成できません。
禁煙外来など病院のサポートを受けながら、禁煙を続けてみませんか？
禁煙外来では、医師があなたの喫煙歴を把握した上で、禁煙補助薬を処方し、治療の経過を見守ります。
一定の条件を満たすと、健康保険を使って禁煙治療が受けられます。
健康課では、あなたに合った禁煙方法の情報提供や市内の禁煙外来をご案内しています。
お気軽にお問い合わせください。
※令和2年度から、一定の条件を満たすと、加熱式タバコでも医療保険による禁煙治療が受けられるようになりました



◎胃がん（内視鏡）検診追加募集
ID：1017029
[お問い合わせ]健康課（電話番号042・581・4111）
[内容]問診、胃部内視鏡検査
[対象]今年度50歳以上（昭和47年4月1日以前生まれの方）
※下表に該当する方は受診不可。内視鏡による胃がん検診を受診された方は、翌年の胃がん検診は受診不可
[定員]300人※申込多数の場合は抽選
[費用]3,000円※検診当日医療機関で支払い。次の方は必要書類を受付に提出すると無料で受診可
(1)生活保護受給者（生活保護受給証明書）
(2)中国残留邦人等支援給付受給者（支援給付受給証明書）
[申込]6月10日（木）（必着）までに郵便番号191の0011日野本町1丁目6番地の2生活・保健センター内健康課がん検診係へ
はがき（1人1通）または健康課窓口で。
検診名（胃がん内視鏡）、住所、氏名（ふりがな）、年齢、生年月日、性別、電話番号を記入
[受診方法]市が送付する受診券および実施医療機関一覧を確認し、医療機関へ予約の上、受診。結果は受診医療機関から直接説明

内視鏡による胃がん検診を受けることができない方
《表》
[1]令和2年度に内視鏡による胃がん検診を受診した
[2]日野市に住民票がない
[3]妊娠中
[4]疾患の種類にかかわらず、入院中
[5]消化性潰瘍などの胃疾患で治療中（ピロリ除菌中を含む）
[6]胃全摘術後
[7]抗血栓薬を服用中
[8]咽頭、鼻腔などに疾患があり、内視鏡の挿入ができない
[9]呼吸不全がある
[10]急性心筋梗塞や不整脈などの心疾患がある
[11]明らかな出血傾向またはその疑いがある
[12]収縮期血圧が極めて高い（高血圧治療中の場合、検査直前に血圧を測り、受検の可否を判断します）
[13]全身状態が悪く、胃内視鏡検査に耐えられないと判断される
[14]認知力の低下などで医師の指示に従えない



◎みんなのふるさとこぼれ話47
日野市に住んでいた作家
山代巴（やましろともえ）
ID：1017020
代表作『荷車の歌』で知られる作家山代巴は、明治45年（1912）6月に、広島県で生まれました。
女子美術専門学校（女子美術大学）で洋画を学びましたが、
プロレタリア美術研究所にも入所して、社会問題に目を向けるようになります。
やがて当時非合法だった共産党に入党し、炭鉱争議の指導者だった山代吉宗と結婚しました。
昭和15年（1940）5月、山代夫妻は、治安維持法違反で検挙され、
巴は懲役4年の有罪判決を受け、三次刑務所・和歌山刑務所に服役しました。
昭和20年8月、敗戦の直前に病気のため釈放されましたが、広島刑務所に服役していた夫吉宗は、同年1月に獄死しました。
困難な戦中を生き抜いた巴は、戦後は広島で農民運動や被爆者援護活動に取り組み、
原水爆禁止世界平和大会開催のための100万人署名運動を行いました。
署名集めの過程で各地の農村を訪問し、そこで知り合った一人の農婦の体験が『荷車の歌』としてまとめられました。
作品は、ベストセラーとなり、農協婦人部の10円カンパで映画化されました。
昭和43年（1968）から平成8年（1996）まで、日野市の多摩平団地に居住し、作家活動を続けました。
巴が目指したものは、
戦前には、自分の自由になるお金を1銭も持てなかった農村女性たちの意識改革や自立、自己表現力を持つことなどでした。
昭和61年には、長編小説『囚われの女たち』全10巻が完結しました。
山代巴の生涯を総括したともいえる自伝的作品ですが、昭和50年から取り組んだ大作です。
平成8年に杉並に転居、16年11月に92歳で生涯を終えました。
主な著作は『山代巴文庫』1期・2期に収められ、評伝も2冊刊行されています。
また、当時の看守によって奇跡的に残された獄中書簡類が、『山代巴獄中手記・書簡集』（牧原憲夫編）として刊行されています。
山代巴が日野に住んでいたことを知る人は、少ないのではないかと思います。
女性に選挙権もなかった時代から、自らの信念を貫き、苦しみながらも、自立して生きた山代巴の生涯や作品からは、
ジェンダーフリーが声高く叫ばれる現代の私たちにも、学ぶべき点や参考になることがたくさんあるのではないかと思います。
郷土資料館では、今秋から小さな学習会の開催を企画しています。
[お問い合わせ]郷土資料館（電話番号042・592・0981）
《写真》
▲山代巴の評伝
佐々木暁美『秋の蝶を生きる』