◎障害のあるなしにかかわらず誰にとってもやさしいまちへ
テーマ：障害ってなんだろう
[問い合わせ]障害福祉課（電話番号042・514・8991）
市は、令和2年4月から「日野市障害者差別解消推進条例」をスタートし、
一人ひとりの多様性や違いを認め合える、“障害のあるなしにかかわらず、誰にとってもやさしいまち”を目指して、
活動を進めてきました。
今回は、そもそも「障害」とは何か、障害の社会モデルの考え方を踏まえて考えてみましょう。


◆障害の社会モデルとは
障害の社会モデルとは、
障害は個人の心身機能によるものではなく、社会にある物や環境などと相まって作り出されるものであるという考え方です。
例えば、「階段しかないため、車いすで上に上がることができない」という「障害」があるとします。
しかし、エレベーターがあれば上に上がることができるため、「障害」が解消されます。
このように「障害」というのは、「立って歩くことができない」「目が見えない」「耳が聞こえない」などの
個人の心身機能によるものではなく、社会や環境の在り方・仕組みが作り出しているものです。
なお、この「障害」には、物理的なものだけではなく、偏見や無関心などといった、心理的なものも含まれます。


◆まずは理解を深めましょう
障害を理由とする差別が起きる原因の一つとして、障害および障害のある方に対する偏見や理解不足が挙げられます。
障害と障害のある方について理解を深めることは、偏見や理解不足による差別の解消や、物理的・心理的な障害を取り除き、
“誰にとってもやさしいまち”をつくることにつながります。
今後も障害理解の促進に向けて、市はさまざまな取り組みを進めていきます。
「障害」とは何か、また“誰にとってもやさしいまち”を実現するために、自分には何ができるのかを考えてみてください。



◎みんなのふるさとこぼれ話82
歴史の宝庫、京王百草園
ID：1028014
[問い合わせ]郷土資料館（電話番号042・592・0981）
京王百草園（もぐさえん）は梅の名所として知られており、園内からは晴れた日に遠く筑波山まで望めるという景勝地です。
また、平安時代末から現代に至るまでの歴史が折り重なっている歴史的にとても由緒ある場所でもあります。
かつて、ここには大きな寺院が次々と建立されては廃寺となり、残念ながら現在では全くその姿をとどめていません。
最初に建てられたのは11世紀末の「真慈悲寺（しんじひじ）」という寺で、
13世紀後半には総瓦葺（かわらぶき）の大きなお堂が立ち並ぶ鎌倉幕府の祈祷寺として発展しました。
隣地にある百草八幡神社と共に武蔵国国府（こくふ）の重要な霊地だったのです。
今から34年前に園内から出土した「蓮華唐草文軒平瓦（れんげからくさもんのきひらかわら）」が
真慈悲寺を特定する証拠となりました。
しかし、元弘3（1333）年の鎌倉幕府の滅亡とともに廃寺となります。
およそ370年後の元禄13（1700）年になると、
この地を治めた領主小林正利によって枡井山松連寺（ますいさんしょうれんじ）や観音堂が建立されます。
百草の地には小林氏関連の事柄がたくさん残されていますが、わずか14年後に廃寺となります。
その3年後の享保2（1717）年には当時の老中大久保忠増の夫人寿昌院（じゅしょういん）によって慈岳山松連寺が建立されました。
この寺は156年間にわたり長く法灯を伝えました。
江戸市中から多くの文人墨客が訪れて賑わっていましたが、
明治6（1873）年に廃仏毀釈（はいぶつきしゃく）のあおりを受けて廃寺となります。
荒れ果てた跡地を再建したのは横浜で成功した地元の生糸商人青木角蔵でした。
角蔵は跡地を買い取って整備し、明治20（1887）年に「百草園」として公開しました。
京王帝都電鉄株式会社が百草園を買収したのは70年後の昭和32（1957）年のことです。
さて、平成元（1989）年の真慈悲寺の瓦発見から34年も経った令和5（2023）年、
百草八幡神社拝殿の脇から新たなタイプの瓦「下向き剣頭文（したむきけんとうもん）軒平瓦」が発見されました。
相模地域に多く見られる瓦で、鎌倉幕府の祈祷寺である真慈悲寺にふさわしい瓦です。
今は地上にその痕跡を全く残していない歴史の貴重な証拠がまだまだこの地には残されているようです。
《写真あり》京王百草園出土（蓮華唐草文軒平瓦）
《写真あり》百草八幡神社出土（下向き剣頭文軒平瓦）