◎発掘調査最前線掘り起こされた日野市の歴史
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[問い合わせ]ふるさと文化財課（電話番号042・583・5100）

日野市には、多摩川と浅川に挟まれた日野台地や、河川の氾濫原にあたる低地、そして多摩丘陵といった豊かな地形が存在します。
このようにバリエーション豊富な地形に恵まれた市域には、古来よりたくさんの遺跡が残されています。
本号では、近年新たに遺跡調査で発見されたロマン溢れる成果をご紹介します。

◆古のリーダー達の墓？「方形周溝墓（ほうけいしゅうこうぼ）」
方形周溝墓は、周囲に方形の溝を巡らせた盛り土の墓のことで、主に弥生時代から古墳時代前期に造られたものです。
市内では、以前から平山遺跡に当たる平山橋のたもと、大名淵（だいみょうぶち）の周辺に残されていることが知られていましたが、
新たに吹上遺跡が位置する川辺堀之内でも発見されました。
発見された方形周溝墓は、全部で4基で、一辺が約8mほどの規模のものです。
出土した遺物などから、弥生時代末から古墳時代初頭ごろ（約1600～1700年前）のものと考えらえます。
《写真あり》
川辺堀之内：方形周溝墓出土遺物（南西から）
川辺堀之内：方形周溝墓全景（北から）


◆超速報！！
縄文人の祈りの痕跡「石棒（せきぼう）」
南広間地（みなみひろまち）遺跡で発見されたこの石棒は、縄文時代後晩期（約2400～3200年前）のものです。
石棒とは、棒状の磨製石器のことで、その形状から、男性器を模したものとされ、
子孫繁栄や豊穣を祈願した呪術的な道具であったと考えられています。
《写真あり》
上台：石棒出土状況


◆何を囲っていた？「大型区画溝」
平山遺跡の包蔵地（ほうぞうち）内、西平山地区で発見された大型区画溝は、
これまでの調査で東西南北の四方でそれぞれ一部分ずつ調査が行われています。
溝が囲う範囲は東京ドーム約1個分程もある広大なものになります。
出土した遺物などから、奈良～平安時代に造られたものと推測されています。
今回発見された溝は、西側の溝の続きに当たります。
この大型区画溝が、どのような目的で築かれたのかはまだよく分かっていませんが、
一朝一夕で造られるものではなく、計画性をもった公共事業の一環であったことが推測されます。
溝の内側の範囲で発見された大型四面廂建物跡（下記）をはじめとする建物跡群と合わせ、今後の進展にご期待ください。
《写真あり》
西平山：大型区画溝全景（南から）


◆スペシャルトピックス「大型四面廂建物跡（しめんびさしたてものあと）」
「大型四面廂建物跡」は、古代ではもっとも格式が高いとされる、
建物の四面すべてに廂（ひさし）がついた建物の跡のことをいいます。
全国的にみても希少な規模の建物跡であり、
都内では国指定史跡に指定されている府中市の武蔵国府跡「国庁正殿（こくちょうせいでん）」に次ぐ大きさを誇ります。
なぜ、このような希少な建物跡がこの地に築かれたのか。
出土遺物などから、9世紀の終わりごろ、ちょうど古代律令（りつりょう）体制が崩壊し始め、
新たに中世の武家社会へと時代が変わる過渡期に建てられたことが分かっています。
日野の新たな時代の幕開けに深く関わる遺構であると考えられます。
《写真あり》
西平山：大型四面廂建物跡
四面廂建物跡復元模型


【ふるさと文化財課からのお願い】
文化財保護法により、遺跡の包蔵地内で建築などの工事を行う際は「埋蔵文化財発掘の届出」の提出が義務付けられています。
事業を計画される場合は、ふるさと文化財課にて包蔵地の確認をお願いします。