◎まちの話題

■佐々木俊輔選手が母校の四小にキャップを贈呈しました
ID：1029325
[問い合わせ]文化スポーツ課（電話番号042・514・8465）
読売ジャイアンツ「日野市スポーツアンバサダー」の佐々木俊輔選手は5月15日、
母校である四小全児童602人に、熱中症予防啓発の取り組みの一環として、
ジャイアンツオリジナルの「TOKYOキャップ」をプレゼントしました。
当日はシーズン中の佐々木選手に代わり、公式マスコットのジャビット、スタジアムアンバサダーの伊藤るうなさん、
女子チームの田中美羽選手、小野寺佳奈選手が訪問し、子どもたちと交流しました。
佐々木選手はメッセージ映像で「熱中症予防のためにもキャップをかぶり、こまめな水分補給を」と児童に呼びかけました。
《写真あり》


■日野レッドドルフィンズが市長を表敬訪問しシーズン報告を行いました
ID：1029317
[問い合わせ]文化スポーツ課（電話番号042・514・8462）
7月4日に床田聖悟選手を含む日野レッドドルフィンズの皆さまが市長を表敬訪問しました。
2024～2025シーズンでは勝点22（4勝1分7敗）で8チーム中5位という結果でディビジョン2残留となりました。
日野レッドドルフィンズからは、シーズンの結果報告や来季への抱負、今後の取り組みなどをお話しいただきました。
2025～2026シーズンも日野レッドドルフィンズを応援しましょう！
《写真あり》
左から畑山部長、古賀市長、床田選手、青木副市長、古澤室長


■東京ヴェルディが市長を表敬訪問しました
ID：1011131
[問い合わせ]文化スポーツ課（電話番号042・514・8462）
東京ヴェルディ株式会社の中村考昭代表取締役社長をはじめホームタウン・普及部の皆さまが日野市長を表敬訪問しました。
東京ヴェルディからは、
日野市との連携事業や障害の有無にかかわらずスポーツに取り組める環境づくりなどについてお話しいただきました。
東京ヴェルディには、日ごろよりスポーツや教育など多岐にわたる分野で、
市と連携して地域課題の解決に向けてご尽力いただいています。
《写真あり》
左から中村社長、古賀市長、青木副市長、栗田副社長


■ひの新選組WAON寄附金贈呈式が行われました
ID：1012128
[問い合わせ]産業振興課（電話番号042・514・8437）
6月24日にイオンリテール（株）および（株）ダイエーより寄附金が贈呈されました。
これは「ひの新選組WAON」で令和6年度に電子決済された金額の0.1％が、
市の産業および地域振興を目的として寄附されたものです。
令和6年度の寄附金額は1,495,073円で、これまでの寄附金額の合計は15,297,115円となりました。
寄附金は市内産業支援策に活用されています。



◎みんなのふるさとこぼれ話87
ID：1029361
[問い合わせ]郷土資料館（電話番号042・592・0981）
弱き声を社会に届ける～山代巴（やましろともえ）
『原爆に生きて原爆被害者の手記』
被爆者の全国組織である日本原水爆被害者団体協議会（日本被団協）の2024年ノーベル平和賞受賞を祝ったメッセージの中に、
初期の被爆者運動の担い手として峠三吉、川手健、山代巴に言及されているものがありました。
峠三吉は、【序】「ちちをかえせ／ははをかえせ／としよりをかえせ／こどもをかえせ／わたしをかえせ／
わたしにつながるにんげんをかえせ／にんげんの／にんげんのよのあるかぎり／くずれぬへいわを／へいわをかえせ」
ではじまる『原爆詩集』の詩人です。
またGHQによる言論統制下の昭和25（1950）年10月、
丸木位里（まるきいり）・赤松俊子夫妻（※1）が爆心地文化会館で行った
「原爆の図三部作」展覧会の開催に尽力した人物としても知られています。
昭和27年4月、体調に不安のあった峠は山代巴に協力を願い、
同年9月に『詩集原子雲の下より』を刊行しました（峠は昭和28年3月死亡）。
続いて山代巴が「被爆者運動の先駆者」といわれる川手健と着手したのが「原爆被害者の手記」でした。
構想自体は昭和24年8月からありましたが、適切な方法が見つからず、
辿り着いたのが、被害者宅を直接訪問して話を聞き苦しみに寄り添う、弱くとも患者の言葉で訴えかける、
弱き人々の声を社会に届ける、書けない人の代筆はするが本人の意向に沿わないことは一切書かないといった手法でした。
このことが被爆者に生きる自信と社会性を持たせ、
やがて日本被団協に先立つ被爆者組織「原爆被害者の会」が昭和27年8月に結成されました。
昭和28年6月には『原爆に生きて原爆被害者の手記』（カットは丸木位里・赤松俊子夫妻※2）が刊行されました。
山代巴は昭和43年から平成8（1996）年まで日野市の多摩平団地に住み、
その後、杉並区に転居して平成16年に92歳で亡くなりました。
現在も世界では戦争が起こり、戦後80年たった今も原爆症で苦しむ人々がいます。戦争は絶対ダメです。

※1．原爆投下後、夫妻は丸木位里の実家のあった広島市へ駆けつけ、その惨状を目の当たりにし、
その5年後に「原爆の図」が発表された。絵は全国を巡回し、原爆の被害を多くの人に伝えた
※2．山代巴と赤松俊子は、東京女子美術専門学校（女子美術大学）での親しい友人でもあった
※みんなのふるさこぼれ話47「日野市に住んでいた作家山代巴」もご参照ください